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自我の行方 [生きるを考える]

 以前に一度ふれたことがあるのですが、本の処分をしている中で、「愛するということ、愛されるということ」という本を読みなおしていました。著者はレオ・バスカリア。草柳大蔵訳でアメリカでベストセラーになった本です。サブタイトルに互いに分かち合える”ほんものの人生をさがしにーーーという言葉があります。この本、BOOKOFFに出そうかなどと思っていたのですが、すっかり読み直すことになってしまいました。

 
 マスコミで報道されるような様々な問題、国際問題でも事件でもコミュニケイションがなかったり成立しなかったりだと感じることがすくなくありません。人間は人として基本的に同じだと私は思っているのですが、どうしてこんなに対話が、コミュニケイションが難しいのか、この疑問を考えることができる一冊でした。

 ーーーー 私たちは、人とかかわることがますます下手になってきている。「人付き合いはできるだけ避けなさい。何事にも無関心でいることです。」痛みを味わいたくない人にはぴったりの処方箋だ。
人々の関心が、自立や個人の自由といったことにむけられているのはたしかのようです。ーーー


 著者のこのような指摘、他人への関心が少なくなり、ますます孤独になっている現代人への警鐘でしょう。でもなぜそうなっていくのでしょう。
 現代社会を分析していかなければならないと思います。誰も自ら自分だけを考えて社会との関係を断って孤独でいたいとは思わないと思いますが、一人でいたいと思うくらい、厄介で迷惑な関係であることもあります。
 特に最近の核戦争を巡る対立くらい迷惑な話はありません。誰とも、どこの国とも核戦争はもとより戦争などしたくないし、敵だとも思わないのになぜ戦争しなくちゃならないのか、生活も犠牲にして軍備を強化したり、核兵器まで持たなくちゃならないのかと思います。

 人生において大切なことのひとつをこの本で教えてもらったように思いますが生きることは人とのかかわりがどうかにかかっているようです。一人で生きているのではないから、他人を知ること、自分を知ること、他人を大切にすること、自分を尊重することを常に心にとめていたいと思います。
子どもたちが小学校高学年から中学に進むにつれて親として悩んだり考えたりすることもふえて、一番難しいと思ったことが話し合うことでした。言いたいことが言えない、言うべきだと思うことが言えない。いまでもそういうときがあります。相手の気持ちが見えない、会話が成立しない。人並にいろいろ悩んでいた時出合った本が秋山さと子さんの「母と子の深層」やA·S ニイルの「問題の子」などでした。
 本当の会話が難しいのはなぜなのか。本当の会話を阻むものはなんなのか。自分の本当の気持ちだと思うことを相手に伝えること、相手からも本当の気持ちを聞くことができて実際を確認できることは人と人の関係の一歩なのだと思いますがとてもむずかしい。そのためにとにかくあらゆる先入観をもたず、相手を知ろうとする関心、聞く耳がなくてはならない。
 世界も人生も誤解にみちています。ニイルは子どもとの接し方にあたって、まず先入観を持たないでありのままの子どもを観察してほしいといいました。そして好きや嫌いの愛好の意味の愛ではなく、関心の意味の愛を持つことを基本にしました。
 これは子どもとのことばかりでなく、同じことが人と人、国や民族がちがうような関係においても同じことがいえるのではないでしょうか。
 同じ人、人類としての相手への関心、聞く耳をもって実際を知ること、強固な先入観や自ら自分のなかに敵をつくる自己愛を離れて、本当の相手の心を知ること、そこまで人間の知性が進んでいなければなりません。それとも自分の利益や先入観や憶測という誤解から危険な火遊びをしての結果が出ないとわからないとでもいうのでしようか。人間は何度もその経験と過ちを繰り返してきたのですが。


 自分を考えたとき、「サイの角のように一人歩め」というお釈迦様の言葉について考えます。
振り回されないで生きる。それ以外にないといまは思っています。 
 
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