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一即多、多即一.と天上天下唯我独尊の二つの言葉から  民主主義 [生きるを考える]

6月23日、今日は太平洋戦争末期沖縄戦の戦没者慰霊の日です。
 

 一即多多即一という言葉は折に触れなにかにぶつかるごとに考える言葉です。この言葉に出あったのはもう何十年か前のことだったと思います。芥川賞作家の大城立裕さんの本の中だったと思います。書名を忘れてしまったのですが、沖縄の歴史とご自身の苦悩を描かれた本だったと記憶していますが、この本の中に一即多多即一という言葉が出てきました。沖縄の人の苦悩と歴史をはじめて知ったのはこの本でした。一即多多即一という言葉も天上天下唯我独尊も仏教の経典の中に出てくる言葉のようですね。

 一即多多即一の意味は自分の中に社会のみならず全世界の一切が含まれ、果ては大宇宙に連なる、自他合一、自分などというものはないという意味のようですが、世界に含まれ、世界を含むその一である個人は他人と別の唯一の存在。それが天上天下唯我独尊の意味かと思います。
 仏教にいう無の理解は難しいと感じてきましたが、すこし理解できたような気も。
生きていく上でいろいろの悩みや不安をもつ実際の自分を客観的に凝視してみればその存在は一即多多即一の因果の結果でつねに移ろうものであることに気づきます。
独自な自分などというものは存在しない。ということと実際いきている自分という両者であるとわかります。
 実際を生きている個人は釈迦の言葉でいうと、「欲しい欲しい、足りない足りない」という生存本能に突き動かされている存在。 
 自分一個のように思っている個人はこのように全世界宇宙につながっている存在なのですが、実際の自分が意識する認識は世界や宇宙のなかの些細な点のような認識にすぎない。どんなに頑張って努力した人でも個人の認識は限られていて、無明無知なのだと思います。そこに絶対や一なるものはない。民主主義はこの事実から出発していると思います。多様である事実を認めるその前提にたって共存や共生するシステムと思います。

 戦争が終わったのは五歳のときでしたから戦後の教育が始まった最初の年代にあたります。戦後教育を受けた、最初の世代が戦後の民主主義をどううけとめてきたのだろうかと考えます。戦後の民主主義教育が日本人の魂をダメにしたと考える人たちがいますがほんとうにそうなのでしょうか。
 戦争や戦争の時代を知ったり勉強したりするようになったのは学校教育の中ではなかったと思います。社会科の中のそれもほんのちょっとしか触れられない近代史ですから何も知らないといっていいのです。ただ当時は敗戦後の混乱を極めた時代でした。そこには食料を求めてぎゅうぎゅう詰めの列車で農村に買い出しに来る人達がたくさんいましたし、上野駅には何年も浮浪者がたくさんいました。親を亡くし住むところを無くした子どももたくさんいました。自分の身辺だけでなく映画や書物などを通して世界全体を覆った大戦の姿を知りました。しかし、戦争について今になって知らなかったことを知ることはたくさんありますし、今になってからのほうが戦争についてよくわかるように思います。当時を知り学ぶことはこれからの時代が平和であるために欠くことができない大切なことと思っています。

 今日の朝日新聞朝刊に孤児として過ごした苦しい時代を見つめなおし、語り始めた「沖縄の孤児、語り継ぐ」という記事がのっていました。その記事の一部から。

 72年前の沖縄戦では一千人以上の孤児を生んだといわれています。
 孤児の一人、嘉陽宗伸さんは当時7歳、一緒に逃げた祖父と母は目の前で砲弾に倒れた。「バーンと音がして、母が覆いかぶさってきた。お腹の中が出て、、、二人即死だった。4~5日が過ぎたころ、米兵に見つかり、トラックに乗せられ、50人ほどの子どもが詰め込まれていたゴザ孤児園と呼ばれていた民家で嘉陽さんの戦後が始まった。2~3歳の子ども15人ほどをつれてこの孤児園で働いたことのある本村つるさん(92歳)の話「ミルクを飲ませるんだけれども、下痢してね。服もおしめもない。雑魚寝の子供たちは朝起きると体中、便まみれだった」
 沖縄の過酷を極めた戦争の姿がありありとうかがえます。
 
 時代は目まぐるしく新しく移り変わるのですが人間の基本はかわらないのではないでしょうか。
 戦争へと進んだ当時と現代人がどれほどちがっているのでしょうか。違っていると信じたいのですがあまり人はそれほど変わってはいないのだろうと思います。    
                   (続く)                
 

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